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番外札所

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6. 倭姫宮(やまとひめのみや)

 伊勢うどんを食べる
 お土産を買う
 おはらい町通りの賑わいを目に焼き付ける

この3点だけはどうしてもやっておく必要があると思ったので何とかこなし、
早々に伊勢市駅行きのバスに身を投じた。

バスの車窓を眺めながら、明日どうするか、ぼうっと考える。
 もともと明日は参拝する予定ではなかった。
 早朝はバスは走っていない。
 バス通り沿いには、お詣りしたい別宮などがいくつかある。
 ホテルから約4km、歩いて別宮を巡りながら来るか...

気がついたら私は、途中で降車ボタンを押していた。
別宮「倭姫宮」に詣ろうと思い立ったのだ。
内宮を創建した倭姫命(やまとひめのみこと)を祀った場所だ。

これは正解だった。

歴史も浅く、外宮・内宮から離れたこのお宮を詣る人はほとんどいない。
森は静謐で、鳥たちの声はやさしく、私は随分と癒された。
この落ち着いた場所に鎮座する倭姫は、きっと心穏やかだろうと思った。
それに比較して、天照大御神はたいへんだ。
何しろあの賑わいの相手をしなければならないのだから。

元気になった勢いで、すぐ近くの徴古館(ちょうこかん)・農業館を見学し、
ホテルまで1.3km 歩いて帰る。早めに就寝。
# by npapapapa | 2014-03-09 20:24 |

7. 内宮ふたたび

9日(日曜日)4時起床。

荷物をまとめ5時にチェックアウト。
5:18の近鉄電車の始発に乗り、内宮最寄りの五十鈴川駅へ。
コインロッカーに荷物を預け、暗い中を歩き始める。内宮まで1.7km。

誰もいない道を歩いていると、7年前のお遍路の感覚が呼び起こされた。
朝の冷たい空気が体温を削っていくにつれ、
私の精神は研ぎ澄まれていくように思われた。

空が徐々に白みはじめる。
内宮の入り口に到着したのは、日の出の15分前、ちょうど6時頃だった。
人は少なく、参拝するには理想的だった。

お辞儀をして宇治橋を渡る。
夜明けの宇治橋は、震えるほどに神聖だった。

昨日は全く聞こえなかった鳥たちの声がよく響き、
五十鈴川は健康的にせせらいでいた。
正宮に近づくにつれ、私の感覚はいよいよ研ぎ澄まされていくようだったが、
不思議と心は軽やかで、落ち着いていた。


空が薄紅に染まりはじめた頃、私は正宮にたどり着いた。

奇妙だ。
「神聖」という感じがしない。

神社へ行くといつも感じる、あのぱりっとした感じ。
宇治橋からさらに神聖な領域に来たはずなのに
橋の辺りに漂っていた、あの緊張感が消えている。

建物の造りは外宮のそれと概ね同じであるはずなのに、
真新しくて使い込まれていない印象の外宮とは対照的に、
ここは何だか、生活感のようなものが溢れている。

少々極端な言い方だが、
しゃれたお蕎麦屋さん(こんなに大きな蕎麦屋はないが)のような
とても親しみやすい印象だ。

内宮の正宮は五重の結界が張られていて、一般の参拝者は一番外の「板垣」の内側、
二番目の「外玉垣(そとたまがき)」の前まで入ることができる。
お辞儀をしてその領域に入り、拝礼する。表明する言葉は決めていた。

 私はこの国が好きです
 この国に貢献できる人間になるよう精進します

拝礼した後も私はしばらくこの領域に留まり、
入ることができない内側の領域をゆっくり眺めていた。

日本で最も神聖な場所にいるはずなのに、
私の心はとてもリラックスしていて、驚くほど平常だった。
まるでここが自宅であるような(自宅がこんなに広いはずはないが)、
そんな錯覚さえ覚えた。

さらに内側には入ることができないが、仮に入っていったとしても、
天照大御神は優しく迎え入れてくれそうな、そんな気がした。


穏やかな時間をたっぷり味わい、十分に「くつろいだ」後、
お辞儀をして板垣を出ようとしたその時だった。

       いってらっしゃい

私はそう言われ、背中をそっと押されたような気がした。
この瞬間、私は一気に感極まってしまった。

内側から涌き出してくるものが全身を満たし、それはたちまち器をいっぱいにして
外へこぼれ落ちていくようだった。
涙が止まらなかった。

しばらくして落ち着いたものの、私の心は容量いっぱいの水で満たされていた。
そのたぷんたぷんの状態で、ときどき溢れてこぼれる涙を拭いながら、
私は境内の荒祭宮(あらまつりのみや)・風日祈宮(かざひのみのみや)
滝祭神(たきまつりのかみ)を順に巡った。

時々正宮の方角を見ると、空は先ほどよりも明るくなり、
今度は金色に輝いているように見えた。

お札は戴かないつもりだった。
家には神棚がないし、おろそかになってしまうと思ったからだ。
しかし天照大御神は、そんなことを気にする神様ではないということが
はっきりと分かったので、お納めをしてお札(角祓い)を頂戴した。


その後も私はずっとたぷんたぷんだった。
おはらい町通りで唯一開いていた赤福本店に立ち寄って
日光を浴びながらお茶を戴いている時も、
帰り道沿いの猿田彦神社や、
別宮「月讀宮(つきよみのみや)」をお詣りしている時も、
帰りの近鉄電車や新幹線の中でも、
あの「いってらっしゃい」という言葉を思い出す度に私の器からは水が溢れた。

天照大御神が、まさかここまで親しみの湧く神様だとは思いもしなかった。
「ありがたい神様」であることは間違いないが、むしろ「大好きな神様」。
それは本当に、この上ない素晴らしい体験だった。
# by npapapapa | 2014-03-09 20:23 |

8. 心のふるさと

こうしてこの旅を振り返ってみて、あまりによくできたシナリオに、自分でも驚く。
それはつまり、伊勢神宮が「よくできている」ということに違いない。

 伊勢は心のふるさと
 お伊勢参りは日本再発見の旅

その言葉は、私にとって偽りがなかった。

外宮では、日本人の価値観と美徳、
日本人は何を重視してどのように生きてきたか、
文字通り体の外への作用を

内宮では、日本人の心のあり方、
おもてなしの精神、慈悲の心、
文字通り体の内への作用を

私はそれぞれに、強く目の当たりにし、体感した。
まさにそれは「心のふるさと」と呼ぶにふさわしかった。


 春風はふるさとに吹き伊勢に吹き

 春水は五十鈴のさとにみちにけり
# by npapapapa | 2014-03-09 20:22 |

清澄吟行

翼さん開催の句会にいってきました。
清澄庭園で吟行、二句出し。


 パレットに緑いくつも昭和の日  八十八

 亀が亀掴まへてをり四月尽  八十八


昭和の日の句で最高点を頂きましたが、
どちらも季語に再考の余地がありそう。

まあ吟行句っぽい仕上がりであはあるかと。


それにしても気持ちの良い季節ですねぇ。
# by npapapapa | 2009-05-01 19:37 | 句会

油淋鶏

油淋鶏_f0124765_19395483.jpg

つくりすぎです。

これだから独り暮らしは、太る。
# by npapapapa | 2009-04-04 19:39 | その他