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番外札所

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十方念仏 〜 世界平和 〜

仏教では偉い人は「願(がん)」を立てる。例えば薬師如来は修行時代に「自分が如来になったら全ての人の病を治す」という願を立てた(と経典に書いてある)ので、病を治癒する力があると信仰されている。阿弥陀如来は「西方極楽浄土を作り、自分を信じる全ての人をその浄土に迎え入れる」という願を立てた(と経典に書いてある)ので、極楽往生という信仰が生まれた。

空海は「虚空盡き、衆生盡き、涅槃盡きなば、我が願いも盡きなん」という願を立てた。「世界中のあらゆる人が成仏する(=悟りをひらく)までは、自分は成仏しない」という意味だという。従って誰かがこの世界で悩み悶えているうちは、空海もそれを見守っている。お遍路さんの笠に「同行二人」とあるのは、空海と一緒に修行する、という意味である。こんな願を立ててしまったら、空海は永遠に成仏できないように思えるがどうだろうか。あるいはそのような願を立てることで、空海は永遠の過去から永遠の未来への無限の時間を超越し、この世の輪廻の輪を飛び越えたのかもしれない。


法華懺法は「回向文(えこうもん)」と呼ばれる次の一文で締めくくられる。

「願わくはこの功徳を持って遍く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに仏道を成ぜん」

回向文は通常、読経の後、最後に読み上げられる一文である。お遍路さんは各札所で読経を行うが、やはり、毎回この文で締めくくる習わしがある。意味は次の通り、大乗仏教の基本的な考え方を表したものだ。

「私は今、読経を行い、功徳を積みました。しかしこの功績を、私は独占しません。この効果が世界中の隅々にまで行き渡り、少しでも世の中が良いものになることを願います。そしてやがては、この世の生きとし生けるもの全て、悟りの世界に入ることができますように。」

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散華によって菩提心を抱き、敬礼段において空間的・時間的に世界の隅々まで行き渡った仏性に思いをはせる。そして今、この世界の全てが悟りの世界となることを望む。空海のような気迫に満ちた力強い願は常人には立てられないが、それでも回向文にあるように謙虚に、広い視点を持って生きていたいものである。

by npapapapa | 2019-05-10 10:04 | 合唱