番外札所

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伊勢参り

2泊でお伊勢参りに行ってきました。

忘れられない体験となったので、ここに日記として残しておきます。
なお、写真は一枚も撮っていません。


※ 神宮 = 伊勢神宮
→ 内宮・外宮の二つの正宮(しょうぐう)をはじめ、
  両宮の別宮・摂社・末社・所管社からなる125社の総称

※ 内宮(ないくう) = 皇大神宮 (こうたいじんぐう)
→ 天照大御神(あまてらすおおみかみ) または
  天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
  言わずと知れた太陽の女神。
  皇室の御祖神(おみやがみ)で、日本国民の総氏神。

※ 外宮(げくう) = 豊受大神宮 (とようけだいじんぐう)
→ 豊受大御神(とようけのおおみかみ)
  天照大御神の食事を司る女神。
  衣食住をはじめ、すべての産業の守り神。

※ 外宮先祭
→ お祭りを行うとき、外宮→内宮の順に行うこと。
  参拝もこの順に行うのが基本。
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# by npapapapa | 2014-03-09 20:30 |

1. 二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)

8日(土曜日)5時起床。

日の出に合わせて外宮を参拝する予定だったが、気が変わった。
外宮を早朝参拝するのは清々しいだろうが、「せんぐう館」は開いていないし、
近隣のお店も閉まっているだろうから、時間を持て余すと思ったのだ。

代わりに、天の岩屋伝説ゆかりの二見興玉神社で日の出を見ることにした。
古来より伊勢に詣る者は、二見浦(ふたみのうら)で身を清めてから外宮へ
向かったというし、海岸で日の出を見るのはつきづきしいだろうと思った。

伊勢市駅 6:07発、JR始発で二見浦駅へ。
この日の天気は「晴れるが、真冬の寒さ」。
風は身を切るように冷たく、禊としては十分に思われた。

日の出の時刻10分過ぎ頃に神社に到着。

季節によっては「夫婦岩」の間、海から昇る太陽を拝めるそうだが、
今の季節はもっと南より、山の上からの日の出だった。
空は快晴だったかが山ぎわには雲がかかっていて、
雲間から見える朝日はやさしかった。

これから神宮をお詣りするにあたって、
天照大御神に良い「ご挨拶」ができた、という気持ちがした。
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# by npapapapa | 2014-03-09 20:29 |

2. 外宮

JRで伊勢市駅へ戻り、8時、外宮へ。
参拝者はまばら、ゆっくりまわる。

外宮の中心には、新旧ふたつの正宮(しょうぐう)が並んでいた。
奥の方、向かって左側にあるのが新しいお宮。
昨年10月に式年遷宮を終え、豊受大御神のご神体が鎮座している。
右側の古いお宮は、来月から解体するという。
両方のお宮を比較できるこの時期に参拝できたのは運が良かった。

新しい正宮を拝す。
率直な印象は「真新しい箱」。
シンプルイズベストと言うに相応しい、すっきり堂々とした佇まいだが、
その奥に神様がいらっしゃるというのが、正直私にはあまりピンとこなかった。

むしろ新旧のお宮が並んでいるという、そのこと自体が私には印象的だった。
神宮にはこうした二物対比が随所に見られた。

新と旧
左と右
白と黒
外と内
和御霊(にぎみたま)と荒御霊(あらみたま)
奇数と偶数
縦と横
昼と夜
光と陰

古い正宮は確かに古いが、まだ十分に立派だ。
これを解体してしまうという潔さ。

「新しさを保つの唯一の方法は、生まれ変わり続けること」
とはありがちなフレーズだが、
それにはこれほどまでの潔さが必要なのかと思い、
どきっとした。

ひと通り外宮を巡ったのち、一度境内を出る。
喫茶店で一服して、すっかり冷えた体を暖めた。
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# by npapapapa | 2014-03-09 20:28 |

3. せんぐう館

別宮・月夜見宮(つきよみのみや)に詣った後、
10時頃、ふたたび外宮へ。
遷宮に合わせて2012年にオープンした「せんぐう館」を見学する。

タッチパネルによる展示など、近代的な設備が印象的な資料館。
主な展示内容は、
 神宮と式年遷宮の歴史
 遷宮の段取りや遷宮にまつわる祭り
 御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)とその制作の様子
など。御装束神宝とは、ご神体に付属する宝物の数々のこと。

この御装束神宝が凄かった。
刺繍、彫刻、漆器等、絢爛豪華でため息の出るほど美しい品々。
その道の名だたる名工たちが、何年もの時間と莫大な労力をかけて制作したものだ。

それらの品があまりに素晴らしいので、私はだんだん腹が立って来た。

 シンプルイズベストではなかったのか?
 豪華な品々を納めることが、この国に良い影響を及ぼすのか?
 莫大な時間とお金とマンパワー、他に使い道があるのではないか?

喩えはあまりに悪いが、
 悪王が民から吸い上げた税金を、自らが豪遊するために使っている
そんな光景が私の頭をよぎった。

もやもやムカムカしたまま、私はせんぐう館を出た。
外宮の参拝者がみるみる増えてきているのを横目に見ながら、
私は内宮行きのバスに乗った。
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# by npapapapa | 2014-03-09 20:27 |

4. 昼食

11時半、内宮前バス停着。
混み合う前に昼食をとる。

土曜日ということで、
内宮への参道「おはらい町通り」には人がごった返していた。
しゃれた和食店を見つけて入る。

注文を終えた後、私はさきほどのムカムカについて考えた。

 ではもし、あれらの宝物が一切無かったら...?

それはそれで、ひとつの自然崇拝の姿としておかしくないように思えた。
ただシンプルに自然を崇め、自然とともに生きる。
凝ったものは作らない。
食べ物も、狩猟・採取・栽培して極簡単な調理だけにとどめる。
仙人のようにあるがままに自然の中に身を委ねて生きる。

そういう生き方もあると思うし、実践している人もいるだろう。
では自分はそうしたいか?
多くの日本人はこれまでそうしてきたか?

否。

職人も料理人もみな、訓練して腕を磨き、
より美しいもの、人を感動させるものを追求する、
それこそが日本人が目指してきた、人間らしい活動ではないか。

豊受大御神は、天照大御神の食事を司る神様だが、
同時に衣食住の神様であり、産業の神様だという。

あの美しい神宝たちは、単に神様を喜ばせるための玩具ではない。
あれら神宝そのもの、そこに凝縮された技術と時間と思い、
美しいものを生み出す活動を尊重するということ、
それらこそが豊受大御神が象徴するものではないか。

先ほど列挙した二物対比で、ひとつ重要なものが抜けていた。
「自然と人間」だ。

四季を愛で、自然を敬い、その偉大さを十分に理解した上で、
人の手を存分に加え、技術を磨き、人間的な活動を輝かせる。
自然と人間の絶妙なバランス感覚を保つこと、それを重んじることが
日本人が選択した「人間らしい生き方」であり、
日本人の素晴らしさではないか。


料理が運ばれてきた。
素材を大切にしながらも料理人の技術が光り、
目にも楽しく、味も良かった。
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# by npapapapa | 2014-03-09 20:26 |

5. 内宮

正午、内宮に詣る。

結論から言うと、これは最悪だった。人が多すぎたのだ。

内宮の入り口に架かる「宇治橋」を渡り終えたとき、
私は早くも、あまりの参拝者の多さに辟易した。
この時点で、明日の早朝にもう一度詣ることを、私は心に決めた。

すぐにでも引き返したいところだったが、それではまるでピンポンダッシュ、
天照大御神にあまりに失礼だと思ったので、
せめて正宮だけでもお参りすることにした。

人の波の一歩外側を、私はマイペースで歩いた。

ショックだったのは、
老若男女さまざまな人がいるはずなのに、歩くスピードがみな一緒であること、
そしてそれが異様に速いことだった。

「こことここをまわれば運気上げてくれるんでしょ? はい、まわったよ。」
「お詣りはチャッチャと済ませて、早くお土産買いに行こう。」
そんなインスタントなお詣りをしている人が殆どなのではないか。

この場所がどうして神聖だとされているのか、
それを自分の目で、自分の体で、確かめようとはしないのか?

少しでも長い時間この場所にいて、
この清浄な空気を体に取り込もうとは思わないのか?

生きるということがとても単純化されてしまい
みんな自分で考えるということを忘れてしまったのではないか?

非常に不謹慎だが敢えて書くと、
その行列は、顔のない死者の行列にさえ思え、
私は恐怖を覚えた。

そしてそう思った次の瞬間、激しい自己嫌悪が襲ってきた。
仮にも旅行先に伊勢を選んだ志の高い人たちに向かって
顔のない死者のようだなんて、お前は何てひどいことを考えているんだ、と。

感情の持って行き場所がなくなり、私はいよいよ気分が悪くなった。
とにかく一刻も早くホテルへ帰って、寝てしまいたかった。

正宮では「明日また来ます」とだけ拝んで、
へろへろになって内宮を脱出した。
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# by npapapapa | 2014-03-09 20:25 |

6. 倭姫宮(やまとひめのみや)

 伊勢うどんを食べる
 お土産を買う
 おはらい町通りの賑わいを目に焼き付ける

この3点だけはどうしてもやっておく必要があると思ったので何とかこなし、
早々に伊勢市駅行きのバスに身を投じた。

バスの車窓を眺めながら、明日どうするか、ぼうっと考える。
 もともと明日は参拝する予定ではなかった。
 早朝はバスは走っていない。
 バス通り沿いには、お詣りしたい別宮などがいくつかある。
 ホテルから約4km、歩いて別宮を巡りながら来るか...

気がついたら私は、途中で降車ボタンを押していた。
別宮「倭姫宮」に詣ろうと思い立ったのだ。
内宮を創建した倭姫命(やまとひめのみこと)を祀った場所だ。

これは正解だった。

歴史も浅く、外宮・内宮から離れたこのお宮を詣る人はほとんどいない。
森は静謐で、鳥たちの声はやさしく、私は随分と癒された。
この落ち着いた場所に鎮座する倭姫は、きっと心穏やかだろうと思った。
それに比較して、天照大御神はたいへんだ。
何しろあの賑わいの相手をしなければならないのだから。

元気になった勢いで、すぐ近くの徴古館(ちょうこかん)・農業館を見学し、
ホテルまで1.3km 歩いて帰る。早めに就寝。
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# by npapapapa | 2014-03-09 20:24 |

7. 内宮ふたたび

9日(日曜日)4時起床。

荷物をまとめ5時にチェックアウト。
5:18の近鉄電車の始発に乗り、内宮最寄りの五十鈴川駅へ。
コインロッカーに荷物を預け、暗い中を歩き始める。内宮まで1.7km。

誰もいない道を歩いていると、7年前のお遍路の感覚が呼び起こされた。
朝の冷たい空気が体温を削っていくにつれ、
私の精神は研ぎ澄まれていくように思われた。

空が徐々に白みはじめる。
内宮の入り口に到着したのは、日の出の15分前、ちょうど6時頃だった。
人は少なく、参拝するには理想的だった。

お辞儀をして宇治橋を渡る。
夜明けの宇治橋は、震えるほどに神聖だった。

昨日は全く聞こえなかった鳥たちの声がよく響き、
五十鈴川は健康的にせせらいでいた。
正宮に近づくにつれ、私の感覚はいよいよ研ぎ澄まされていくようだったが、
不思議と心は軽やかで、落ち着いていた。


空が薄紅に染まりはじめた頃、私は正宮にたどり着いた。

奇妙だ。
「神聖」という感じがしない。

神社へ行くといつも感じる、あのぱりっとした感じ。
宇治橋からさらに神聖な領域に来たはずなのに
橋の辺りに漂っていた、あの緊張感が消えている。

建物の造りは外宮のそれと概ね同じであるはずなのに、
真新しくて使い込まれていない印象の外宮とは対照的に、
ここは何だか、生活感のようなものが溢れている。

少々極端な言い方だが、
しゃれたお蕎麦屋さん(こんなに大きな蕎麦屋はないが)のような
とても親しみやすい印象だ。

内宮の正宮は五重の結界が張られていて、一般の参拝者は一番外の「板垣」の内側、
二番目の「外玉垣(そとたまがき)」の前まで入ることができる。
お辞儀をしてその領域に入り、拝礼する。表明する言葉は決めていた。

 私はこの国が好きです
 この国に貢献できる人間になるよう精進します

拝礼した後も私はしばらくこの領域に留まり、
入ることができない内側の領域をゆっくり眺めていた。

日本で最も神聖な場所にいるはずなのに、
私の心はとてもリラックスしていて、驚くほど平常だった。
まるでここが自宅であるような(自宅がこんなに広いはずはないが)、
そんな錯覚さえ覚えた。

さらに内側には入ることができないが、仮に入っていったとしても、
天照大御神は優しく迎え入れてくれそうな、そんな気がした。


穏やかな時間をたっぷり味わい、十分に「くつろいだ」後、
お辞儀をして板垣を出ようとしたその時だった。

       いってらっしゃい

私はそう言われ、背中をそっと押されたような気がした。
この瞬間、私は一気に感極まってしまった。

内側から涌き出してくるものが全身を満たし、それはたちまち器をいっぱいにして
外へこぼれ落ちていくようだった。
涙が止まらなかった。

しばらくして落ち着いたものの、私の心は容量いっぱいの水で満たされていた。
そのたぷんたぷんの状態で、ときどき溢れてこぼれる涙を拭いながら、
私は境内の荒祭宮(あらまつりのみや)・風日祈宮(かざひのみのみや)
滝祭神(たきまつりのかみ)を順に巡った。

時々正宮の方角を見ると、空は先ほどよりも明るくなり、
今度は金色に輝いているように見えた。

お札は戴かないつもりだった。
家には神棚がないし、おろそかになってしまうと思ったからだ。
しかし天照大御神は、そんなことを気にする神様ではないということが
はっきりと分かったので、お納めをしてお札(角祓い)を頂戴した。


その後も私はずっとたぷんたぷんだった。
おはらい町通りで唯一開いていた赤福本店に立ち寄って
日光を浴びながらお茶を戴いている時も、
帰り道沿いの猿田彦神社や、
別宮「月讀宮(つきよみのみや)」をお詣りしている時も、
帰りの近鉄電車や新幹線の中でも、
あの「いってらっしゃい」という言葉を思い出す度に私の器からは水が溢れた。

天照大御神が、まさかここまで親しみの湧く神様だとは思いもしなかった。
「ありがたい神様」であることは間違いないが、むしろ「大好きな神様」。
それは本当に、この上ない素晴らしい体験だった。
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# by npapapapa | 2014-03-09 20:23 |

8. 心のふるさと

こうしてこの旅を振り返ってみて、あまりによくできたシナリオに、自分でも驚く。
それはつまり、伊勢神宮が「よくできている」ということに違いない。

 伊勢は心のふるさと
 お伊勢参りは日本再発見の旅

その言葉は、私にとって偽りがなかった。

外宮では、日本人の価値観と美徳、
日本人は何を重視してどのように生きてきたか、
文字通り体の外への作用を

内宮では、日本人の心のあり方、
おもてなしの精神、慈悲の心、
文字通り体の内への作用を

私はそれぞれに、強く目の当たりにし、体感した。
まさにそれは「心のふるさと」と呼ぶにふさわしかった。


 春風はふるさとに吹き伊勢に吹き

 春水は五十鈴のさとにみちにけり
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# by npapapapa | 2014-03-09 20:22 |

清澄吟行

翼さん開催の句会にいってきました。
清澄庭園で吟行、二句出し。


 パレットに緑いくつも昭和の日  八十八

 亀が亀掴まへてをり四月尽  八十八


昭和の日の句で最高点を頂きましたが、
どちらも季語に再考の余地がありそう。

まあ吟行句っぽい仕上がりであはあるかと。


それにしても気持ちの良い季節ですねぇ。
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# by npapapapa | 2009-05-01 19:37 | 句会